相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
聴くのをサボんなよ。俺歌うから
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。
自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
私はいつも、まだ自分ができないことをする
効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
私は自分がやりたいことをやっているだけ
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。
(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ
流行なんて、文字どおり流れていく
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。
お金って、ただの道具じゃないですか
より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く
生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
人生をね、棒に振りたいんだよ
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
愛の光なき人生は無意味である
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. The fearful are caught as often as the bold.
危険を回避することは、長期的には危険に完全に晒されるよりも安全ではない。怯える人は大胆な人と同じくらい頻繁に捕らえられる。