言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
曲作りの勉強は独学です
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう
曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。
犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
型にはハマらずにいたい
僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ
人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。
天才のランプは人生のランプより早く燃える
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する
芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
信仰と信頼の間にのみ平和があります
私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
俺は巨大な産業としての音楽が崩壊しつつある中で、平たくなった場所はすごく楽しい遊び場になっていくと思うんですよ
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう
人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
君はあなた自身を創造していると思いなさい
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要になる
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。