学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
僕は一貫して自己満足です、めざすものは
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。
最も重要なことから始めなさい
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
詩人は未来を回想する
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る
効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである
人間の運命は人間の手中にある
上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。
若くなるには時間がかかる
例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。
RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。
感情が伴わない作品は、芸術ではない
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
俺は錦みてえにはなれねえよ
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに
悪い種子からは悪い実ができる
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。