生涯、創造者でありたい
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ
1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること
You won’t get anything unless you have the vision to imagine it.
心に思い描かなければ、何も得られない。
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ
Your success and happiness lies in you. Resolve to keep happy, and your joy and you shall form an invincible host against difficulties.
あなたの成功と幸福はあなた自身にあります。幸せであることを心に決めれば、あなたの喜びとあなた自身は困難に対して決してくじけません。
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ
さぁライヴハウスへ帰ろう
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。