アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
私の創造の源泉は、私が愛する人々である
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている
「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。
楽しいと思った瞬間、そこがゴール
群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
いつだって、今やるのが一番いい
流行なんて、文字どおり流れていく
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
平等は人道の神聖な法則である
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
私はいつも、まだ自分ができないことをする
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
破壊こそ創造の母だ
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
数字なんて関係ねーんだ。ホント関係ねーんだ。お前らもよく虐げられてるだろ? 数字の強い人たちにさ
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない
その日、歩ける一歩を歩くだけ
毎回が真剣勝負
泣きそうなときこそ、泣くのをグッとこらえた分だけ、弱くなるような気がする。だから、泣きたいときはないていいんだよ。
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。
芸術は、意識と無意識の融合である
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
大好きなものと付き合っていくことだよ
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!
アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。