音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
愛の光なき人生は無意味である
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。
何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。
「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい
少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる
残る音楽を作りたい
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
わたしは立ち止まりはしない
君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
ガキンチョだますのがロックだと思う
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
フッ…… まったく不謹慎やのお〜……お前ら、最高やで!
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。
青年は決して安全な株を買ってはならない
僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。