


親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。

学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである

もともと人は全員、孤独なんだよ

「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。

自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

いや、40年と30秒だよ

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

There is no king who has not had a slave among his ancestors, and no slave who has not had a king among his.
王の先祖に奴隷がいない者はなく、奴隷の先祖に王がいない者はいません。

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

お客が来なくなったらバイトすりゃいい

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

青春の夢に忠実であれ

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

人生は、水平方向に落ちていくことである

大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。

多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める

戦争は戦争を養う

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。

業績を上げる最大のカギは責任感である。権威や権限ではない

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

僕は一貫して自己満足です、めざすものは

まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ

何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ

何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。

ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

理論というものは現実に従って変化していく

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

曲作りの勉強は独学です

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

死に方は生き方、生き方は死に方。

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

そやったわ。わし花粉症やったわ。

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
