与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
現状を把握しなければ未来は語れない
RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む
愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく
世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
大好きなものと付き合っていくことだよ
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
俺は今日、アンタの為に唄う。ロックに世界を変える力はない。でもロックが一人一人の人間の心に起こすうねり、そのパワーは計りしれない。俺はその力を信じて生きる
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない
優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
パンのための学問
『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
自分が興奮できないようなものではダメ
人間は、毎日生まれ変わる
誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある
Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」
(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
詩人は未来を回想する
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ
眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
人はいつも、行動する時より口で言う時の方が大胆になる
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
愛することは、愛されること
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
偽物が本物に変身する瞬間がある
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
今真剣なんだ。邪魔するな!
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。
Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. The fearful are caught as often as the bold.
危険を回避することは、長期的には危険に完全に晒されるよりも安全ではない。怯える人は大胆な人と同じくらい頻繁に捕らえられる。