


組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

自分を支えているのは、自分

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

音楽にはいろんな力がある

神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました

世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ

煮詰まったらドラクエやる

やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう

間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

見るために、私は目を閉じる

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

すべてはむなしい

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない

あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?

人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。

ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。

なんでもいいから、まずやってみる

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ

文明とは、麻痺状態のことだ

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

悪い種子からは悪い実ができる

なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。

激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て

失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。

私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ

RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。

だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる

もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

純粋に泣けてしまうことって本当にある

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

自分は燃え尽きることは一生ない

悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある

おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

僕らは全然清く正しくない だからってコソコソはしたくない コントロールできないことなんて山ほどあるよ 笑顔だけは失くさないでくれ たとえ誰かに罵られてもさ 僕はそういうとこが好きなんだ そいつらに中指立ててあんたらみたいにはならないよって言ってやろうぜ

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
