出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
型にはハマらずにいたい
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ
若い時から優れた作品に触れることが重要
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である
素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
天才になるには天才のふりをすればいい
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。
最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
先に見出し、後に捜し求めよ
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である
なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ
この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
Optimism is the faith that leads to achievement. Nothing can be done without hope and confidence.
楽観主義は達成へとつながる信念である。 希望と自信なくして何事も成しえない。