偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
愛することは、愛されること
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける
愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない
運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
手には、物を掴む手と放す手がある
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ
ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
ルール破ってもマナーは守れよ
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
計画とは未来に関する現在の決定である
僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。
生きてると後悔はつきもの
迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う
苦痛は短く、喜びは永遠である
どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である
音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」