どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である
自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
組織に働く者は、成果に何も寄与しないが無視できない仕事に時間をとられる。膨大な時間が、ほとんど役に立たない仕事、あるいはまったく役に立たない仕事に費やされている
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
最高で当たり前なんだよ
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
自信のあるものは「自信があります」ということが大事
真理に年齢はない
俺は錦みてえにはなれねえよ
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
1.必ずできると信じろ2.限界を越えろ3.「その時」を待つな4.行動しろ5.正しく問え6.ジャッジせず、隠された美を見ろ7.遅すぎることなんてない
The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい
何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む
部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない
俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
大金を持った貧しい人のように暮らしたい
否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。
コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから
やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?
普通なことが特別で特別であることが普通なこと
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
自分は燃え尽きることは一生ない
仕事は点ではなく線だ
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。
(ゲーム好きになったきっかけは〉東京大のマージャン部に所属し、後に厚生省などに務めた公務員の父と、東京女子医大出身の母の影響が大きい
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。