いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
何があっても、賛成反対両方あるのは自然。
僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
私は天才を自覚している
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
破壊こそ創造の母だ
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる
俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう
自分にとっては結構厳しいなと思う瞬間だったり、もうめちゃめちゃ悔しい経験もしてきたから、そのときの気持ちを忘れたくない
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている
僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから
運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。
俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる
大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
「最初はグー」ってなんであるんだろう。
私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
一番確実な未来予知の方法は、未来自体を作り出してしまうことである
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
最高で当たり前なんだよ
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ
この曲を聴いた人はハルジオンになりたいって言うんじゃなくて、土になって欲しい。そう、あんたは土なんだ。あんたにだってハルジオンは咲くんだと。此処、心の中にあるんだって。別に車に乗ってハルジオン咲いてる所に探しにいかなくたっていい・・だって、此処に咲いてんだから。(ハルジオンについて)
Your success and happiness lies in you. Resolve to keep happy, and your joy and you shall form an invincible host against difficulties.
あなたの成功と幸福はあなた自身にあります。幸せであることを心に決めれば、あなたの喜びとあなた自身は困難に対して決してくじけません。
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
愛することは、愛されること
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする
僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
その瞬間に爆発していればカッコいい
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ
その日、歩ける一歩を歩くだけ
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
……キスやな。キスかそれ以上のことやろな、やっぱり。歯…… 磨いとるな?六代目。
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。