


死に方は生き方、生き方は死に方。

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

幸せのまんま放っておいてほしい

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

青年は決して安全な株を買ってはならない

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない

大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。

運が悪かったんだよ …お前等は

国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう

ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

計画とは未来に関する現在の決定である

みんなの前で歌わんかったら下手になる

やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい

嫌われることは愛されることより難しい

会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

真摯さはごまかせない

一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである

高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう

なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー

創造の最大の敵は「良い」センスだ

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である

何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる

一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ

小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。

同じことは二度とできないし、マネもできないんですよ。

相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください

長く生きてるほうが絶対おもしろいよ

Everything is clearer when you’re in love.
恋に落ちたら、何もかもがクリアになる。

私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。
