


俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい

三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。

感動することこそが、人類の最も贅沢なこと

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる

愛することは、愛されること

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。

感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う

革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること

生きているうちに天才って言われたい

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね

ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。

近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

芸術愛は真の愛情を失わせる

楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ

いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。

楽しいと思った瞬間、そこがゴール

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

ガキンチョだますのがロックだと思う

天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ

ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!

私の健康を祝して乾杯してくれ

事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる

子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった

何と嫌な商売だ

People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。
