


芸術愛は真の愛情を失わせる

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

幸せのまんま放っておいてほしい

運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。

(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

聴くのをサボんなよ。俺歌うから

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)

「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。

自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

お先真っ暗はすげー前向きな言葉。

リンゴひとつでパリを征服する

私はいつも、まだ自分ができないことをする

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

藤くん、心からおめでとう。本当に本当に嬉しかった。他人のことでこんなに嬉しかったのはいつ以来だろう。昨日もらった連絡で僕は眠れなくなりました。これからも大好き。おめでとうございます。

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。

自然が本当に好きなら、あらゆるところで美を見い出せるだろう

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

創造の最大の敵は「良い」センスだ

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。

普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります

ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

生まれる前からあなたの側にいた曲です

自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない

無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。

私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。

音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事

10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう

名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!

心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
