


とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事

人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。

皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。

戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。

私はいつも、まだ自分ができないことをする

馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

自分を支えているのは、自分

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

みんなの前で歌わんかったら下手になる

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す

手には、物を掴む手と放す手がある

真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

夢見ることをやめてはいけない

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。

ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

管理者は高潔な品性をもってこそ、指導力を発揮し、多くの人の模範となりうる

幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ

大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。

彫刻に独創はいらない。生命がいる

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

本気も本気 “大本気” や!

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

その瞬間に爆発していればカッコいい

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ
