


アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

普通なことが特別で特別であることが普通なこと

(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう

Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。

生きてると後悔はつきもの

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

残る音楽を作りたい

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。

好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!

生まれたからには、生きてやる。

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう

お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

I used to think that anyone doing anything weird was weird. I suddenly realized that anyone doing anything weird wasn’t weird at all and it was the people saying they were weird that were weird.
かつて私は何か奇妙なことをしている人は全員奇妙だと思っていた。突然気づいたんだけど、実際には何か奇妙なことをしている人はまったく奇妙ではなくて、彼らを奇妙だと言っている人こそが奇妙だということに気づいたんだ。

声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!

これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません

「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな

最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」

マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

手には、物を掴む手と放す手がある

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

人生の目的は悟ることではありません。生きるんです

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

フッ…… まったく不謹慎やのお〜……お前ら、最高やで!

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる

よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。

(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました

正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

流行なんて、文字どおり流れていく

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や

ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。

彫刻に独創はいらない。生命がいる

人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる

失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから

詩人は未来を回想する

画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう

自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである
