評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
偽物が本物に変身する瞬間がある
僕は楽しいから、成功していると思う
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
芸術愛は真の愛情を失わせる
今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい
空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない
(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。
すべてはむなしい
どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
これを描いたのはあなたですか?いや、違う。きみたちだ
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる
詩人は未来を回想する
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
ロックの基本は愛と平和だ。
考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
仕事は点ではなく線だ
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
常に100%満足できる作品を作るべきだと思うし、そうすることが俺らの音楽を待ってくれる人たちへの最高の礼儀だと思うんですよ。
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
青春の夢に忠実であれ
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
今やらなきゃならないことは今やれ。今しかないこの時間はもう、取り戻せないから。
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
愛の光なき人生は無意味である
明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。