音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから
ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
人の評価なんかどうでもいいし
たぶん不安とかっていう感情は、こう、戦う覚悟を決めないで中途半端な気持ちでその先に進もうとするから生まれるものだと思うんだ。どーせ逃げもしねぇくせに戦う覚悟をきめないから。だから、おまえら、覚悟決めろよ
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
私は天才を自覚している
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ
人は見た目で判断する、そんなもんだ
制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている
神は勇者を叩く
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
私は自分がやりたいことをやっているだけ
低気圧が僕を責め立てる。
人間は老けるよ。あたりまえじゃん。だけどさ、ロックンロールは年をとらないんだよ。ロックンロールっていうのはやっぱりね時空を越えていくんだ!
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。
最後は直感なのだ
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
偽物が本物に変身する瞬間がある
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。
非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。
創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
基本的に私は家の中で曲を作る
大事は寄せ集められた小事によってなされる
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。
文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである
その瞬間に爆発していればカッコいい
複雑なものはうまくいかない
感情が伴わない作品は、芸術ではない
お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。