天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
悪い種子からは悪い実ができる
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
正義の尺度は声の多数ではない
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
青年は決して安全な株を買ってはならない
夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。
昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ
「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)
低気圧が僕を責め立てる。
人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。
後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ
何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
いつだって、今やるのが一番いい
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
経営者は常に現実的でなければならない
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。