俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ
詩人は常に真実を語る嘘つきである
これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです
ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
芸術は何かっていうと、抑制だよね
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
見放さなければ、失うということもありません
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
私の健康を祝して乾杯してくれ
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。
ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
僕は不確定というか、絶対にこうだって言い切れないものがあればあるほど面白いと思うよ。その分言い切りたい奴が言い切れるじゃん 僕はロックンロールに対していろんなことをいっぱい言い切る
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
純粋に泣けてしまうことって本当にある
Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても
偽物が本物に変身する瞬間がある
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
自分じゃない自分を出すのが怖い
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
自信のあるものは「自信があります」ということが大事
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。