


芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

最高で当たり前なんだよ

同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

音を出すことで何を伝えたいのか

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。

気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常

昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した

群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った

何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。

基本的に完成は信用しない

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない

方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る

Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。

So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる

All you need is love.
愛こそはすべて。

天才のランプは人生のランプより早く燃える

俺は巨大な産業としての音楽が崩壊しつつある中で、平たくなった場所はすごく楽しい遊び場になっていくと思うんですよ

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい

歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて

目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・

革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね

曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである

有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

運命に耐えているとき、そこに真理が見える
