究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!
福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
人の評価なんかどうでもいいし
酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである
経営者は常に現実的でなければならない
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
なんばHatch?…へんななまえ。(06年THE BIRTHDAYライブにて。ちなみにこの日、まともなMCはこの一言のみ)
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです
ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
沈黙は絶叫よりも恐ろしい
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ
生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる
ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
何があっても、賛成反対両方あるのは自然
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
基本的にバカバカしいじゃないですか、この商売は。ポップスってそうでしょ。初めから成熟してない状態が前提というか、いつも青いものが求められる。でも私はそれだけじゃないものがやりたい。
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。
計画とは未来に関する現在の決定である
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
日々楽しく過ごしているということは、今を生きているということなんだ
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。
お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。