


イエスとノーのあいだに真実が息づいている

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

赤がなければ、青を使います

愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

毎回が真剣勝負

お金って、ただの道具じゃないですか

煮詰まったらドラクエやる

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない

前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

理論というものは現実に従って変化していく

昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した

今真剣なんだ。邪魔するな!

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

音楽にはいろんな力がある

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

”世界”というのは自分の中にあるんです

組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き

やり方を学ぶ

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い

人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる

今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ

自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます

口先だけじゃ海を越えられないのさ

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関

ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる

人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

天才になるには天才のふりをすればいい

いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする

音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。

俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

青年は決して安全な株を買ってはならない

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない
