


これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ

何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん

いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。

イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である

俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。

「楽しい」を勝ち取ろうと思えば、「楽」を切り捨てなければいけない

俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。

妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

Our life is our art.
人生はアートだ。

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

ロックンロールは続いていくんだよ

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

青年は決して安全な株を買ってはならない

音楽にはいろんな力がある

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

愛しあってるかい?

マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと

偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

ああ、俺にもできそうだ!

「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った

この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……

ロックの基本は愛と平和だ。

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

大事は寄せ集められた小事によってなされる

彫刻は、凹凸の術である

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。

いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。

経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

All we are saying is give peace a chance!
僕らが言っているのは、平和にチャンスを与えようということだけだ!

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い

1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)

みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます

部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない

やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。

覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ

自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

ルール破ってもマナーは守れよ

ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
