ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。
僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。
経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である
想像できることは、すべて現実なのだ
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や
青年は決して安全な株を買ってはならない
ルール破ってもマナーは守れよ
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。
幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。
純粋に泣けてしまうことって本当にある
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
自然に線は存在しない
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
全てのものは限られた量しかない。特に幸福は
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
生きてると後悔はつきもの
持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
ストーンズだけどさ、あのステージを観たら、なんて言うか、…孤独感が消えたんだよね。ほら、…僕は孤独でしょ(笑)。でも、もう孤独感は消えた。…うまく言えないけど。
ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
傑作なのか屑なのかわからない
jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。
神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ
みんながいなくなったらどうしよう。その不安で毎日押しつぶされそうだけど、俺が今から作る曲をみんなが無条件に聴いてくれるなんてありえないこと、あたりまえにわかってるから。頑張って頑張って自分史上最高の曲を書いて、何食わぬ顔で届けるから。俺はそーゆー虫になるから
人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
音楽にはいろんな力がある
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。
「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)
美はざっと見てもわからない
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
私の健康を祝して乾杯してくれ
わしがゾンビになったらそりゃお前 世界の破滅やろ?そん時このわしを止められんのは……桐生ちゃん お前だけや。頼めるな?
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ
人は生涯、同一水準の作品しか書けない
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない
忍耐もまた行動の一つの形態だ
自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。