


NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。

人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・

一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。勉とはそれに打つ勝つだけの忍耐力の養成を意味する

お前自身を知ろうとするならば、いかに他の人々が行動するかを観察せよ。お前が他の人々を理解しようとするならば、お前自身の心を見よ

ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ

同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ

腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。

盗作は情けない

それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう

バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

決断の場面においてはトップは常に孤独である

成果をあげるための秘訣をひとつだけ挙げるならば、それは集中である

閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ

色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ

この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる

残る音楽を作りたい

僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ

芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

リンゴひとつでパリを征服する

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

基本的に完成は信用しない

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

同じことは二度とできないし、マネもできないんですよ。

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない

(曲を)作ること自体が究極のセラピー

楽しいと思った瞬間、そこがゴール

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。

運が悪かったんだよ、お前らは

音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。

自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ

原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい

私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない

絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない

俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。

組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる

もし、黄色と橙色がなければ青色もない
