


恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である

よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる

空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。

アバウトは健康にいい

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている

人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

いつだって、今やるのが一番いい

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな

すべてはむなしい

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)

人生はほんの一瞬のことに過ぎない。死もまたほんの一瞬である

どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している

成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける

まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう

人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし

Optimism is the faith that leads to achievement. Nothing can be done without hope and confidence.
楽観主義は達成へとつながる信念である。 希望と自信なくして何事も成しえない。

僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ

生涯、創造者でありたい

盗作は情けない

お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ

美はざっと見てもわからない

お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に…でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ

いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

最高で当たり前なんだよ

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。

効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである

青春の夢に忠実であれ

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

俺は錦みてえにはなれねえよ

声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った

自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ

世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある

アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に

だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。

働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
