例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。
小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります
ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない
お客が来なくなったらバイトすりゃいい
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
夢を飼い殺しちゃいけない。
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
さぁライヴハウスへ帰ろう
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
世界史は世界審判である
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
その瞬間に爆発していればカッコいい
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
残る音楽を作りたい
傑作なのか屑なのかわからない
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
俺は巨大な産業としての音楽が崩壊しつつある中で、平たくなった場所はすごく楽しい遊び場になっていくと思うんですよ
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
人生、回り道も大事やからな。いっつも最短ルート歩いててもしゃあない。
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。