偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
私は捜し求めない。見出すのだ
この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
もしも明日の朝が来なければ、俺は最高傑作をいくらでも作ることができただろう。
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
画家の質はその人の過去の経験の量に左右される
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい
なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる
極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである
曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ
好きなものは変わらなんなあ。歳をとるほど、より確信になる
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
神に誓うな、己に誓え
人生は、水平方向に落ちていくことである
本気も本気 “大本気” や!
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
最高で当たり前なんだよ
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている
優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。
お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。
「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
嫌われることは愛されることより難しい
普段は用途だけで見ているからわかんないんだけど、そのものだけをいきなり切り取って見たら、結構すごいものがいっぱいあります
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました
明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
青春の夢に忠実であれ
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
夢見ることをやめてはいけない
若い時から優れた作品に触れることが重要
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに
自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です
目標に達するまでの道筋を多くしないこと
天才のランプは人生のランプより早く燃える
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。
やり方を学ぶ
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。
常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である
真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」