みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ
僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。
みんながいなくなったらどうしよう。その不安で毎日押しつぶされそうだけど、俺が今から作る曲をみんなが無条件に聴いてくれるなんてありえないこと、あたりまえにわかってるから。頑張って頑張って自分史上最高の曲を書いて、何食わぬ顔で届けるから。俺はそーゆー虫になるから
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
僕の人生はそれほど長くないだろう。だから僕は一つのことしか目に入らない無知な人となって仕事をするつもりだ。ここ数年のうちに何がしかの仕事をやり遂げてみせる
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
人は見た目で判断する、そんなもんだ
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
詩人は未来を回想する
夢を飼い殺しちゃいけない。
時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
基本的に私は家の中で曲を作る
確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
生まれる前からあなたの側にいた曲です
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
見るために、私は目を閉じる
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
世界史は世界審判である
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い
Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。
自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。