


本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。

仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

嫌われることは愛されることより難しい

女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう

成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない

(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな

幸福には翼がある。つないでおくことは難しい

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。

仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)

お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

真実のほかに美はない

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

「お客様は神様」ですから

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。

もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。

それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。

大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。

何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。

7年後のことより、7秒後の話をしよう。

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。

あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない

んだ。学びは終わらない。んだ。

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです

先に見出し、後に捜し求めよ

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い

くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい

自然に線は存在しない

この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます

僕は一貫して自己満足です、めざすものは

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

人間が生きる限り、死人も生きているんだ
