それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
新大久保から来ました。(THE BIRTHDAY福岡ライブにて)
釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね
仕事は点ではなく線だ
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
自然に線は存在しない
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
音楽が自分のすべてです
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである
偽物が本物に変身する瞬間がある
マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。
無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる
勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
決断の場面においてはトップは常に孤独である
だって朝から晩までいろんな音楽聴いてるわけで。バップのジャズや20年代のブルースからソウル、レゲエ、フォーク、アイリッシュ。クラシックはめったに聴かないけど聴くときもある。そのすべてから影響受けるけど、僕はそういうのを聴く人で、その僕がやってるバンドがこれだっていうだけ。
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
愛しあってるかい?
あの、いばってる奴らは早く居なくなって欲しいよ。何もわかってないくせに偉そうにしてるなんて、そんなみっともないことはない
今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる
よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
やり方を学ぶ
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している
信仰と信頼の間にのみ平和があります
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
基本的に私は家の中で曲を作る
夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
平等は人道の神聖な法則である
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。
私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
わたしは立ち止まりはしない
で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。