もし、黄色と橙色がなければ青色もない
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
私は捜し求めない。見出すのだ
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ
すべてはむなしい
孤独であって、充実している、そういうのが人間だ
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
感動することこそが、人類の最も贅沢なこと
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
運が悪かったんだよ、お前らは
僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない
本気も本気 “大本気” や!
変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。
何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
見ることと感ずることを知る者は、至る所に常に賛美すべきものを見出すだろう
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
音楽にはいろんな力がある
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
お先真っ暗はすげー前向きな言葉。
子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった
一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり
失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。
これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
飛べないホソミはただのタケシだぜ
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う
ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。
ひらめくまで待つ
あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう
人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
他者同士だからさ、分かりあえなくて当然
芸術愛は真の愛情を失わせる
真理に年齢はない
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
若い時から優れた作品に触れることが重要
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ
孤独の中では何もできることはない
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。