あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
もともと人は全員、孤独なんだよ
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
私たちは気が付かないものが道端に隠れているという感覚にわくわくしちゃって、それを写真で記録することになるんですが…。トマソンが一番わかりやすい例です
最後は直感なのだ
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
見るために、私は目を閉じる
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
冒険こそが、わたしの存在理由である
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ
やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい
人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション
手段ではなくて目的
やらないってのも一つの行動だと思う
The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。
どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ
画家の質はその人の過去の経験の量に左右される
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
もし、黄色と橙色がなければ青色もない
現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する
人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
美はざっと見てもわからない
裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
リンゴひとつでパリを征服する
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人
音楽が自分のすべてです
みんながいなくなったらどうしよう。その不安で毎日押しつぶされそうだけど、俺が今から作る曲をみんなが無条件に聴いてくれるなんてありえないこと、あたりまえにわかってるから。頑張って頑張って自分史上最高の曲を書いて、何食わぬ顔で届けるから。俺はそーゆー虫になるから
「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。
ロックの基本は愛と平和だ。
若さと年齢は無関係
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
その日、歩ける一歩を歩くだけ
コンピューターなんて役に立たない。だって、答を出すだけなんだから
そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
最高で当たり前なんだよ
なんばHatch?…へんななまえ。(06年THE BIRTHDAYライブにて。ちなみにこの日、まともなMCはこの一言のみ)
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です
今までの後悔とか、辛かった事とか、選択も全て間違いじゃなかった
私はいつも、まだ自分ができないことをする
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。
出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ
I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!