人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
痛みはいつか消えるが、美は永遠に残る
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない
今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
理論というものは現実に従って変化していく
煮詰まったらドラクエやる
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
業績を上げる最大のカギは責任感である。権威や権限ではない
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない
コミュニケーションで最も大切なことは、相手の言わない本音の部分を聞くことである
その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ
やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。
絵画というのは手で作った写真だ
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
絵を描くのは人生に耐えるための手段だ
お金って、ただの道具じゃないですか
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
ぼくはいつでも、一生懸命歌を作ってるんだよ。才能があるから歌が出来ると思ってるのかも知れないが、それはちがう。作っているんだよ。
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。
『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
平等は人道の神聖な法則である
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
色々と余計なこと考えすぎて眠れなくなった夜には必ずといっていいくらいに見まくった立川談志さんの落語のビデオ
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ
神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける
ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる
俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!
自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。
お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。