幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。
(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました
Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
私はあるがままの自分を受け入れてくれることだけを望む
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
んだ。学びは終わらない。んだ。
お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか
Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。
みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと
紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを
基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である
芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね
周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
(ゲーム好きになったきっかけは〉東京大のマージャン部に所属し、後に厚生省などに務めた公務員の父と、東京女子医大出身の母の影響が大きい
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
本物の画家というのは歴史の騒乱に囲まれながらも洋ナシを根気強く描ける人だ
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ
働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある
青春の夢に忠実であれ
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。
君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?
どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。
Our life is our art.
人生はアートだ。