成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
やり方を学ぶ
偽物が本物に変身する瞬間がある
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
成功する人に共通しているのは、ひたすらひとつの事に集中しているという点である
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
わたしは立ち止まりはしない
深く、恐ろしく真実を語る者であれ
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る
自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです
「人生楽しいことばかりじゃねぇ。厳しいんだよ現実は」ってお前らとか俺の周りにも余計なこと言う奴らがいるけど、お前らがこんな風に笑ってそれ見て俺らも楽しくて笑って、そんな俺ら見てお前らも楽しくてまた笑うじゃん。バカみたいだけどそれでいぃと思うんだ。俺はそんなお前らが大好き
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
早く大人になりたいとか、まだ子供だとか。違うんじゃないか?俺は俺なんだ。藤原基央なんだ。俺はもっと良い藤原基央になれるように頑張るんだ
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった
I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!