


何事かを成し遂げるのは、強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを行うことなど、到底できない

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

全部は混沌としてるから面白い

神に誓うな、己に誓え

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

忍耐もまた行動の一つの形態だ

愛の光なき人生は無意味である

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

俺は錦みてえにはなれねえよ

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

もともと人は全員、孤独なんだよ

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない

みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。

ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから

誰のようにもなりたくない

思い出すのは、あんまよくないよ

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

嫌な事は3秒で忘れる

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

僕は口が裂けても、諦めるなどとは言わない

私はいつも、まだ自分ができないことをする

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

癌もロックンロールだ。

男性のお客さんでライブにいらしている方というのは、何かしらの誤解が生じているんじゃないかなって(笑)

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

Jesus was all right, but his disciples were thick and ordinary. It’s them twisting it that ruins it for me.
イエスは悪くない奴だったけど、弟子たちは鈍かったし普通だった。彼らがイエスを歪めたことが、僕は残念だよ。

(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。

俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない

平等は人道の神聖な法則である

腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。

人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。

「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

直観力と想像力を、抑え込んではならない

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。

芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切

ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

自分じゃない自分を出すのが怖い

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。

無能を並みの水準にするには一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

自分を肯定するために一所懸命考えるんだ

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ

飛べないホソミはただのタケシだぜ

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
