カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。
(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
Our life is our art.
人生はアートだ。
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である
世の中には違った考え方をする種族がいる
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。
急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
子どもの時から音楽が好きでしたので、音楽学校に行くことも考えましたが、音大の入試にパスするほどピアノが弾けませんでした(最終学歴:東京大学教育学部教育心理学科)
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
煮詰まったらドラクエやる
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
大事は寄せ集められた小事によってなされる
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
「最初はグー」ってなんであるんだろう。
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)
ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである
僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ
私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
お客が来なくなったらバイトすりゃいい
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
All you need is love.
愛こそはすべて。
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
自分には過去も未来もない。ただ現在に生きようが為に絵を描くのである
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
流行なんて、文字どおり流れていく
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である
人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。