私は捜し求めない。見出すのだ
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
基本的に完成は信用しない
やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい
いや、40年と30秒だよ
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。
第一番に稚心を去らねばならぬ
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。
我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か
思い出すのは、あんまよくないよ
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
正義の尺度は声の多数ではない
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ
子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人
お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に…でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ
People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。