


癌もロックンロールだ。

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね

最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

誰のようにもなりたくない

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

自分自身によかれと思う者は、好ましく心やさしい妻をめとるがいい。さもなければ、いっそめとらぬがいい

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか

企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

なんでもいいから、まずやってみる

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ

自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。

先に見出し、後に捜し求めよ

いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない

平等は人道の神聖な法則である

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ

一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと

文明とは、麻痺状態のことだ

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる

女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。

心が揺れたところで決着はもうついてんだ

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り…決まった… 赤や…!

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と

アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ

名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない

詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから

人間は精神が拡がる時と、閉じこもる時が必ずある。強烈に閉じこもりがちな人ほど逆に広がる時がくる

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した

ルール破ってもマナーは守れよ

革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

私の創造の源泉は、私が愛する人々である

神は勇者を叩く

現状を把握しなければ未来は語れない
