俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!
大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
この曲を聴いた人はハルジオンになりたいって言うんじゃなくて、土になって欲しい。そう、あんたは土なんだ。あんたにだってハルジオンは咲くんだと。此処、心の中にあるんだって。別に車に乗ってハルジオン咲いてる所に探しにいかなくたっていい・・だって、此処に咲いてんだから。(ハルジオンについて)
顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな
何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ
俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。
流行なんて、文字どおり流れていく
決断の場面においてはトップは常に孤独である
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
君はあなた自身を創造していると思いなさい
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる
僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
自分の強さを実感している人は、謙虚になる
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
毎回が真剣勝負
美はざっと見てもわからない
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない
清志郎。あなたとの思い出に、ろくなものはございません。今日もそうだよ・・・。ひどいよ、この冗談は。ありがとう。一生忘れないよ。
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
お前がワンマンだー!(売れる前、新潟でのライブで客が一人しかいなかった時のこと。その客に向かって)
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である
より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
戦争は戦争を養う
星なんて見えなくたって心の中にありゃぁいいし、なきゃ唄えばいいし、唄えないまま死んだって全然OKだし、だからお前なんか大嫌いだけど大好きなんです。
僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。
明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。
退屈を怖がってちゃいけない
イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから
モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
Half of what I say is meaningless, but I say it just to reach you.
僕の言うことの半分は意味もない。ただ君に聞いて欲しくて話しているんだ。
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。