


人の本当の仕事は30歳になってから始まる

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ

忍耐もまた行動の一つの形態だ

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

型にはハマらずにいたい

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

ひらめくまで待つ

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ

自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに

青年は決して安全な株を買ってはならない

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要になる

何だって自分次第なんだわ。んなもん、当たり前だよな。お前がクソなら、世の中はクソだよ。

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

自然に線は存在しない

以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

思い出すのは、あんまよくないよ

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。

くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。

のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う

感動することこそが、人類の最も贅沢なこと

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や

夢を飼い殺しちゃいけない。

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる

俺は巨大な産業としての音楽が崩壊しつつある中で、平たくなった場所はすごく楽しい遊び場になっていくと思うんですよ

アバウトは健康にいい

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

ああ、俺にもできそうだ!

ベイビーアイラブユーだぜ!

たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい

口先だけじゃ海を越えられないのさ

いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる

愛することは、愛されること

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
