芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
最後は直感なのだ
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)
苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
直観力と想像力を、抑え込んではならない
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
飛べないホソミはただのタケシだぜ
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない
You won’t get anything unless you have the vision to imagine it.
心に思い描かなければ、何も得られない。
ロックンロールは続いていくんだよ
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
人生は、水平方向に落ちていくことである
成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
戦争は戦争を養う
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか
いかなる革命も、3日目から堕落が始まる
みなしごハッチ。(RUSH BALL☆P@なんばHatchにて)
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
”世界”というのは自分の中にあるんです
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
何を生命と呼ぶか。あらゆる意味から君を激動させるもの、君を突き貫くもののことである
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな
もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
As usual, there is a great woman behind every idiot.
いつだってバカを支えているのは偉大な女性だ。
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
感情が伴わない作品は、芸術ではない
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
君を見つけ出した時の感情が、今も骨の髄まで動かしてんだ
若い時から優れた作品に触れることが重要
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
成功する企業というのは、「問題」ではなく、「チャンス」に目を向けている
僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。
成果とは常に成功することではない。そこには間違いや失敗を許す余地がなければならない
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。