いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である
俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。
僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
一人ひとりと7万回握手がしたいです。
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください
「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい
要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ
すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。
いや、40年と30秒だよ
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。
神に誓うな、己に誓え
Work is life, you know, and without it, there’s nothing but fear and insecurity.
働くということは元気のもとだ。仕事がなければ恐れと不安があるだけだよ。
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
他人の短所が目につきすぎる人は、経営者には向いていない。長所を効果的に発揮させるのが自分の仕事だと考える人が、有能な経営者になれる
名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
先に見出し、後に捜し求めよ
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
誰のようにもなりたくない
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
一度志を立てた以上は、何よりもまず目的を定め、少しの時間も無駄にせず、確実な道を歩んで、その目的を達成するように努力するのがよい
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る
なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります
人生は、水平方向に落ちていくことである
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。
ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある
予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う
さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき
自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
その日、歩ける一歩を歩くだけ
If you tried to give rock and roll another name, you might call it ‘Chuck Berry’.
ロックンロールに別の名前をつけるなら、それは「チャック・ベリー」だね。