自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
管理者は高潔な品性をもってこそ、指導力を発揮し、多くの人の模範となりうる
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。
明日描く絵が、一番すばらしい
俺は東城会四代目桐生一馬だ!!
仕事じゃなくてもやるもんね!
目標に達するまでの道筋を多くしないこと
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました
美はあらゆるところにある。我々の眼がそれを認めえないだけだ
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
世界史は世界審判である
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ
芸術は何かっていうと、抑制だよね
自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。
君はあなた自身を創造していると思いなさい
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません
自分を支えているのは、自分
愛の光なき人生は無意味である
あなたの日常は唄になるんです。
40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
嫌われることは愛されることより難しい
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない
意見や考えが違うのは当然のこと。より良い社会の「より良さ」も凝り固めてしまえばイデオロギーなんだけど、誰が勝ったとか論破したとかそういう方法じゃなくて、柔軟にその「より良さ」を目指すことについて同意しながら、進んでいけたらいいですよね。厳しさも排除せずに。
リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ
カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね
私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
ゆっくり急げ。美よりも速く走れ
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
自分を肯定するために一所懸命考えるんだ
一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。勉とはそれに打つ勝つだけの忍耐力の養成を意味する
自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている
青春の夢に忠実であれ
後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
All the world is full of suffering. It is also full of overcoming.
世界は苦しみで満ちています。しかし同時に、克服の光も満ちています。
『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね
仕事は点ではなく線だ
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
赤がなければ、青を使います
神は勇者を叩く
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。