限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
数字なんて関係ねーんだ。ホント関係ねーんだ。お前らもよく虐げられてるだろ? 数字の強い人たちにさ
好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
天才のランプは人生のランプより早く燃える
感情が伴わない作品は、芸術ではない
マーケティングの理想は販売を不要にすることである。つまり、製品がおのずから売れるようにすることである
嫌われることは愛されることより難しい
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
私は天才を自覚している
一人前になるっていうのは、すげえかっこいいこと
相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね
運が悪かったんだよ、お前らは
美はざっと見てもわからない
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。
(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない
自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。
素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。
パンのための学問
絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ
沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』
時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。
確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
仕事じゃなくてもやるもんね!
何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている
俺らも街頭に立って声を張り上げて生活費稼いでるあの人たちと一緒ですよ。『生きようとしている』人たちなんですよ。だから本当に、僕らが歌うこととホームレスの人たちがこの雑誌(THE BIG ISSUE JAPAN)を持って駅前で声を張り上げるのは、同じ行為だと思ってるんです。
その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ
College isn’t the place to go for ideas.
大学はアイデアを得るための場所ではありません。
All you need is love.
愛こそはすべて。
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)
「あいみょんこんな曲作って欲しい」とか、色々意見は聞くんですけど全部受け入れていると、先に進めなくなっちゃう
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ
詩人は常に真実を語る嘘つきである
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
その日、歩ける一歩を歩くだけ
全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ
会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
お金って、ただの道具じゃないですか
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
色彩は、それ自体が何かを表現している
最後は直感なのだ
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか
今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ
終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
青春の夢に忠実であれ
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる
意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。