(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
夢を語る奴のことをバカにしたことはない、そういう奴の為にグングニルって曲が出てきたりします。俺は決して笑わないって歌。そして俺もそういうことをしすぎて目が悪くなりました。夢の見過ぎで悪くなりました。そういう歌も歌ったことがある。でも結局のとこドリーマーです。永遠のドリーマーです。
突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!
リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね
私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
私は天才を自覚している
美はざっと見てもわからない
成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである
詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
私はいつも、まだ自分ができないことをする
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
人間は、毎日生まれ変わる
我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
孤独の中では何もできることはない
自分を支えているのは、自分
よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
嫌な事は3秒で忘れる
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
芸術は何かっていうと、抑制だよね
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
みんな同じなんだよ。大人も子供も、上も下もなくて、ただ同じ地面の上にみんな立ってるだけで。そういうことが、28になってわかった気がする。だから、みんなも長生きしてさ、精一杯生きてください。
音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。
最初にして最高の聴き手は自分自身
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
Our life is our art.
人生はアートだ。